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Joe Claussell: Co. Responding Echoe-s [Abstract/Fusion]

Club/Electronic / 2008.05.10
080509joeclaussell.jpg
Body & Soulと言えば、Joe Claussellの新譜を買いました。
日本版の帯がなんともイナタく、逝けております。
どうしてこの世界のディストリビューターは、こんな台無しをしてしまうのでしょうか。

さて、中身については、2006年の"Translate"あたりから続く「新・Joe Claussell」の世界を、
基本的に継承しています。
4つ打ちはさらに減りました。もっと弛緩した印象です。
テンションボイスを多用したアブストラクトなパッドと、
ロウでアフロセントリックなパーカッションのシーケンスをベースに、
スピリチャルなインナービジョンをアンビエントなサウンドスケープとして描き・・・
そんなかんじです。
暗く深い森の中、渓流がそよぎ、湿った酸素。
まとわる羽虫を払いのけつつ、腐った落葉を踏み進むと、木々の向こうに小滝を発見して・・・
ああ、非常にそんなかんじです(ドンマイ)。
とにかく、なんと形容しましょうか。
イベントにもよりますが、Precious Hallの開場直後、
まだ3人ぽっちがなんとなくフロアで揺れているような未明の時間、
こんな曲たちが流れたりしますね。
非常に奥行きのある作品です。
涼しい夏の夜、オーディオのボリュームを少し上げて、じっくりと腰を落ち着け、傾聴したい。
そんな好作です。良いです。

試聴はこちらから

それにしてもジョーさん、どういうわけでこんな世界観に傾倒してしまったのでしょうか。
最近のインタビュー前作発表時の自身による解説文を読めば実感しますが、
もう完全に、あちら側の人ですよね。
ジャケットの帯同様、逝けてしまっております。
かつての肉体派ディープハウサー(旧ジョーさん)の面影は、すでに皆無であります。
オリエンタルな精神世界にかぶれたヒッピー(旧ジョーさん)が、そのままかぶれ続けた結果、
本物のサドゥーになってしまった(新ジョーさん)とか、そういうのに近い気もします。
加えて、新ジョーさんは、今日のBody & Soulのような商業イベントの開催にあたり、
どういった心境でオファーを受けたのかも気がかりです。
Body & Soulはすでに「十八番の名人芸」的な伝統芸能祭とも呼べる存在ですし、
上述のインタビューでも、「Body & Soulは過去の栄光」的な発言をしていますよね。
納得できる唯一の考え方としては、その「やらされ感」をグッと飲み込んで、
純粋な商売として臨むほかないと思うのですが、新ジョーさんの心酔ぷりたるや、
その信念を商売のために曲げられるようなヤワなレベルではない気もするのです。
いや待てよ。昨年のBody & Soulでは、恍惚の表情を浮かべ、
嬉々としてアイソレーターをひねる新ジョーさんがいたな。
やはり、旧ジョーさんのソウルは新ジョーさんのソウルに継承されているのかしらん・・・
とか、いろいろ考えてしまうのですが、そうこう勘繰っても仕方ありませんね。
まあ、出音が良ければOKです。
どうもいまひとつ飲み込めないものの、5月18日は無心で楽しむこととしましょう。

ところで(話が長いですが)、彼のような、特に黒人の、
ディープハウスやデトロイトテクノのオリジネーター達というのは、
どうも「音」に対する拘りというか、テクニカルな造り込みの意識に欠ける気がします。
あからさまにトランペットの「音源」を「手弾き」していたりとか、
ウッドベースの「音源」をベタで打ち込んでみたりとか、
恥ずかしくていまさら誰もできないような手抜きを、
手直しもせず、新譜として自信満々で発表するのです。
例えるならこう、MIDIMIDIしいといいますか、なんともチープです。
ジャンルを跨いで今日の音楽界を俯瞰すると、それらはもうすでに、
業界のトレンドセッター(ヒップホップやエレクトロの制作者)たちが、
ハズシを狙ってやっているくらいの次元の話であります。
リスナーサイドの面でもう少し言うと、日本だけの話かもしれませんが、
こうしたジャンルの愛好者は、おしなべて彼らベテランをカリスマ的に有り難がる傾向があり、
上記のようなことをツッコむなんて畏れ多い、無粋だ、それがアジなんだ、
とする風潮が、個人的には少し気持ち悪かったりもします。

しかしながら、です。
彼らの音楽は、それでこそ、彼らの音楽足り得ている気もするのですよね。
矛盾しているようですが、なんというかこう、なんとも高貴なのですね。
対比として、例えば日本人のアーティストの多くは、
細かい造り込み―音色、タイミング、マスタリング等々―に命をかけたりしますし、
そこが良いところでもあるのですけれども、
彼らはもっと大局的な曲作りといいますか、音色等の素材に拘ることなく、
感性があふれ出るまま一気呵成に音楽を作り上げる印象があります。
「技巧的」な日本人に対し、「情緒的」な大御所、というイメージです。
いわゆる打ち込み音楽を作ってみると解るのですが、
その制作過程で、音色選びとか音作りとか、そういう細かいところに一度目がいくと、
そればかりが気になってしまって、
肝要な「曲そのもの」を作り進める手が止まってしまいがちです。
インスピレーションというのは実に儚いもので、
ラフスケッチを描く前にそんな「造り込み」に楽しくハマってしまったら最後、
当初思い描いていた音楽のビジョンは、 絶対に具現化できないのですね。
大雑把でも良いので、全体像をあらかじめ作っておかないと、
本当につまらない、ありふれた音楽に落ち着いてしまったりするわけです。
でも、楽しい。PCベースの音楽制作家なんて、皆そんなようなオタクなんじゃないでしょうか。
なにを隠そう、ぼくもそんなクチで音楽制作が嫌になった一人ですが、
徒然とそんなことを思うにつけ、
彼らは本当に、直感的に、あふれ出るまま音楽を紡いでいるのだろうなあ、
と、技術者ならぬ「アーティスト」として、尊敬するのです。
ひとまず出来上がった音楽を改めて造り込む作業というのは、
商品として、ある程度は必要だと思うのですが・・・でも、
そんなラフで不器用なところも含めて、ぼくは彼らの音楽が好きなのです。

なんだ。ぼくも結局、他のリスナーのこと言えないですね。

コメント

- O谷

そうなんだよねー
そういうのって、まったく別の感性なんだよね。

頭の中で思い描いているサウンドが、即AIFFとして出力される、
そんな機械が昔からほしいと思っています。
2000種類以上に及ぶガジェットを購入済のドラえもんなら、
なんかそんなようなのも隠し持ってそうな気がするけどね。
でも、そんなもの出したらサウンドハウスがつぶれちゃうね。
2008.05.10 Sat 10:13 URL [ 編集 ]

- 通りすがりのあちゃこ

後半、PCベースの音楽制作について、非常に興味深く読みました。
私が芸術系、例えば音楽やら美術やらに対して一様に苦手意識を持っているのは、総じて自分のアーティスティックな感性に自信がないからで、そんな私でもやはり音作りや画像加工は大好きな訳です。
日本人的だなあと思いました。
絵も、色調を数値でいじりだしたり補正を1pxでかけだしたりするような細かいところがきになり始めると、大局が見えなくなります。
PCベースの作業には魔物がいますね。

まあ楽しかったりするんだけど!
2008.05.10 Sat 09:11 URL [ 編集 ]

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